2008.3.1
アフレコと取材な日。
気が狂うほどに磨かれた
沓脱石の表面に
ぽっかりと浮かぶ月
そのそばを通り過ぎる、
真っ白な猫
中学校の頃に大好きだった、青木景子さんの詩。抽象的ながらシャリリと澄んだ音のする言葉遣いにはまって、片っ端から読み耽り、好き勝手に広がる空想世界で遊んでいたわたしにとって、この詩だけが異質だった。ほかの詩とは違う色彩を放っているような気がした。不思議で仕方がなかった。
当時、「詩とメルヘン」の編集長であり選者であったやなせたかしさんは、「この詩がわかるには、うんと大人にならないといけない」とコメントしていた。そうか、大人になれば、この詩の味わいがわかるんだ。いまはまだ薄い絵しか浮かばないわたしでも、いつか大人になったら、隠された情緒や深い意味が読み取れるようになるのかもしれない。
そう思ったのを、強烈に覚えている。
それから何年も過ぎ、一般的に「大人」と呼ばれる年齢になってしばらくたつ私は、たまにふとこの詩を思い出しては、いまならこの詩の意味がわかるんだろうかと、自分自身に問い掛けるのがクセになっていた。
繰り返し繰り返し思い浮かべ、ぼんやりと情景を想像しては入りこみ、そこに漂う空気の匂いを感じようとし続けているうちに、きっとこの詩は、すっかりわたしのものになってしまうだろう。
それでも、ああわたしは大人になったんだろうかと、心細く寂しくなったとき、相変わらず答えの出ないこの詩を思い出しては、沓脱石の表面に映る月の光に、ぼんやり慰められていくのかもしれない。
いまは、早坂類さんというお名前で活動をつづけていらっしゃるらしい。いつか、お仕事でご一緒できる機会が、あるといいな。