2005.11.3
ラジオ2本とナレーションな日。
10〜13時、14時〜17時、17時30分〜エンドレス。整体にいきたかったけれど入る余地なし。いわんや、京都においてをや…。
仕事がつまっていると、ときどき、そんなに働いてどうするの?みたいな言い方をされることがある。そんなに稼ぎたいの?いいんじゃない、そんなにがんばらなくても。仕事えらべば?
最初はきょとんとしていたけれど、あとで悲しくなってくる。悪気はないだろうし、踏みにじられたわけでもない。けれどやはりかんじる、圧倒的な違和感。
もちろん、仕事には収入が伴う。収入がなければ、御飯も食べられない。お酒も飲めない。京都にだっていけない。それ以前に、生きていけない。だから、最低限のお金は必要だ。ひとりで生活できるようになったときは、それはそれはうれしかったものだ。
でも。それでも。わたしにとって、声の仕事は、稼ぐ手段であって、それだけではない、もっと特別な意味を持つ。生き甲斐、とか、力の源、とか、絆、とか、自己認識、とか…言葉にまとめようとしたとたん、違うものになってしまいそうだけれど、とにかく一言ではいいあらわせないほど、大切なもの。愛おしいもの。わたしの人生に、なくてはならないもの。そしてゴールのないものなのだ。声の仕事に限らず、こういう姿勢で仕事に取り組んでいるのは、わたしだけではないはずだ。
稼ぐためだけに仕事をするのと、仕事そのものに目標や夢があって、それに収入がついてくるのとは、似ているけれどやはりちがう。オンオフを切り替えることの大切さを、身をもって知っていてなお、私の中ではやはり、声の仕事が最優先事項だ。そしてそのことに、誇りを持っている。
けれどわたしはいつも、そのことをうまく人に伝えられない。強烈なもどかしさを抱えたまま、好きなんです、というのが精一杯だ。
それは仕方のないことなのかもしれない。とてもさみしいけれど、みんなにわかってもらおうと思うのは、わたしのエゴなのかもしれない。
お茶の稽古よりも仕事を優先させる私に、先生から、もうお茶やめなさいといわれた。悲しくて悲しくてたまらなかったけれど、わたしは何も言えなかった。