2004.6.24
ナレーション3本とラジオの日。
日傘を3回忘れる。
傘というのは、ほんとうによく忘れるものだ。貴重品というわけではなく、メインの荷物でもなく、途中で買い物をした紙袋ほどは、持っていることを意識しない。いわば、持ち歩くにはイレギュラーな物体なのだ。
もちろん、雨が降っていれば別である。まさか降るとはおもわなかった、というような状況下においては、垂涎の的だ。なにより重宝され、ビニール製も愛され、赤信号みんなで渡れば…の勢いで、傘たてにあったはずの自分の傘が忽然と消える。
でも。
「降るかもしれないから一応持って出よう」と外出するときほど、邪魔になるときはない。しかもそういう場合、半分以上の確率で、一日荷物のままで終わることが多いのである。(わたしの場合)
そうなると、自然に傘への意識が低くなり、結果、いままで忘れた総数は20本を越える。(小学4年生からの計算。ちなみに20本まで数えた時点で情けなくなり、カウントを中止)
それ以来、わたしは傘を愛せない。だから、なるべく安価で、ふいに手元にないことに気付いても、すぐにあきらめるくせがついてしまった。
だがしかし!
やはり、「日傘」はちがう。別格だ。前置きが長くなりすぎたが、そう、日傘の話。化粧水でいうなら、ばしゃばしゃ使えるヘチマ水と、メイクの仕上げにシュッとひとふきするアロマミストのちがい。腋の下にスプレーするデオドラントコロンと、みみたぶの裏に一滴すりこむパフュームほどのちがいがある。わたしの価値観では。
だから、わたしの日傘は、二年前に思い切って買った、お気に入りの一本だ。折りたためないし、晴雨兼用でもないから、もちろん荷物になる。そして、やはり例外にもれず、しばしば置き忘れる。でも、取り戻そうとする情熱が全然ちがうのだ。
今日、仕事のあいまに、駅のベンチに、スタジオの片隅に、すぐに気付いたからよかったものの、やはり一瞬忘れてしまった。3回目、ひとりカラオケでもやもやを発散させた店に慌てて駆け戻ったとき、ふと、これほど日傘に愛情をそそげるならば、普通の傘でもできないことはないのではないかと、誰もがはじめに思い付くであろう結論に、ハタとたどりついた。
おもいきって、すてきなお洒落傘を買うか?忘れた日には食欲なくすくらい、ブランドばりばりな傘を…!そう一瞬いきりたったものの、やはり、「普通の傘」と「日傘」を、同じように扱える自信がない。まったく自分でもよくわからない、情けない話だ。