2004.2.16

 携帯の機種変更を決意した。

 使い始めてから、まだ1年しかたっていないにもかかわらず、バッテリーはすぐ切れるし、メールはなかなか届かないし、文字を打ち込んでいるときにスピードが早いと、途端にフリーズして、勝手に電源が切れてしまう。
 おまけに、そのあとに続々と出る新機種の画像の明るさや鮮明さが、たった1年くらいでびっくりするくらい進化しているのに愕然!(←遅い)

 

 というわけで、メールや写真データをうつすべく、膨大な量のそれを、ひとつひとつ確認して、パソコンに送信する作業を開始。

 少しずつ削除はしているものの、やはり半端な数ではないメールをひとつずつ読んでいるうちに、なんだか不思議な気持ちになった。

 ちょうど去年の1月末から残っているメールは、当然わたしが出したものへの返信だったり、誰かがわたしへ伝えたいことばかりなわけだけれど、ようはすべて、わたしに関わろうといろいろな人が働きかけてくれた、小さな証の集合体。

 そして、ささいな文章でも、「ああ、こんなこともあったなあ」と、記憶に埋もれていたあの頃の、小さな日常がよみがえる。他人の言葉で綴られた、わたしの日記なのだ。

 そう感じた途端、これらを手放すのが、とても悲しいことのように思えてきた。
 一通一通はたあいのないものだけれど、何ヶ月にも渡っての、出来事や人との関係や気持ちの推移なんかが、とてもリアルに感じられる。

 中には、うっかり消してしまわないように、「保存」してあるものもある。
 今読むと普通のメールだけど、そのときのわたしにとっては、嬉しくてたまらないものだったり、感動したり、何度も読み返しては泣いたような、かけがえのないものたち。

 

 いっそ専用のソフトを使って、パソコンにダウンロードしてしまえばラクなんだろうけれど、そこまでの行程がどうしてもラクとは思えない、超機会音痴のわたし・・・・・(^^;

 機種変更しても、充電器を並べて置いておいて、ときどきメールを読み返そうかな♪