2004.1.23
たとえば、子供の頃に、くりかえし読んだ絵本。
読めない英語や読めない漢字がたくさんあったけど、イラストから物語の雰囲気を感じたり、その世界を想像しながら、くいいるように何度も何度もページをめくった、あの記憶。
いま同じようにその表紙を開くと、その記憶に無条件にスイッチが入り、たちまちそのときの五感がよみがえってくる。
ネコのシェフがかきまぜていた、大鍋の中の緑色のとろりとしたスープの味や。
ぼろぼろになった銅像の流す、宝石のような涙のひかりやそのあたたかさ。
町中のひとたちが、首のあたりまでオートミールにつかりながら、スプーンで食べ食べ道を歩く姿と、そのにおいまでも。
今日のナレーションの現場で、思いがけず、そんな「記憶」のスイッチがはいってしまった。
原稿を読んでいたときは何も感じなかったのに、実際映像や音を前にした途端、意志とは関係なく涙がこみあげてきて、驚いた。
急に鼻をすすりながらテストをするわたしに、ディレクターは何もいわないでいてくれたけど、本番前にミキサーさんがティッシュの箱をもって、遠慮がちにブースの扉を開けた。
「…だいじょうぶですか?」
すみません、大丈夫ですと、何度も頭をさげながら、いけないいけない、しっかりしなくてはっ!と、喝をいれなおしつつ、原稿に向かった。
リアルな感情移入の記憶。
わたしにはあと、どれくらい眠っているのだろう。それらに出会うのが楽しみなような、少しこわいような、複雑な気持ちになる。
そこには紛れもなく、ごまかしようのない本当の自分の姿も、投影されていると思うから…。